メディケア生命 「新メディフィットA」等で改定 「がん自由診療特約」を創設 「お客さま本位の業務運営」での改定も実施
メディケア生命は「新メディフィットA(エース)」(医療終身保険(無解約返戻金型)(20))等について、「がん自由診療特約」の創設、特定3疾病保障のレベルアップ、「顧客本位の業務運営に基づく改定」、その他の改定を実施し、4月2日から販売を開始した。
「がん自由診療特約」の創設は、「近年、がん治療の進歩は目覚ましく、効果的な治療法が登場する中、公的医療保険制度の対象外となる治療は高額のため、経済的理由で治療を断念する場合もある。特に重篤ながんにおいて、経済的に心配することなく最適ながん治療を受けられるよう」新設したもの。従来、先進医療・患者申出療養特約(21)を付加することで公的医療保険ではカバーされず全額自己負担だった先進医療の治療そのものにかかる費用や患者申出療養による治療そのものにかかる費用は自己負担をゼロにすることができたが、「がん自由診療特約」は、さらに、一つの診療計画に基づき行われた(a)先進医療以外の所定の公的医療保険制度における評価療養による療養に対する費用と同額、あるいは(b)特定病院で受けた所定の自由診療による療養について一つの診療計画に基づき行われた①自由診療による療養に対する費用と同額②前記①以外のがんの治療を目的
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今も残る空襲のつめ跡を巡る
東京大空襲から80年たった今日でも、戦争のつめ跡は都内の各地に残っている。そのいくつかを巡ってみる。まず、日本の旧五街道の起点である日本橋だ。日ごろ、多くのビジネスパーソンや観光客が何気なく往来するこの伝統的な橋にも焼夷弾が落ち、黄色や黒色の痕跡として残っている。今では誰一人、その痕跡に目を向ける通行人はいないが。
一方、海外の観光客であふれかえる浅草には、隅田公園の一角に戦災の犠牲者を弔う慰霊碑が残る。その横には、空襲で被害を受けた言問橋の縁石も保存されている。また、浅草寺の大イチョウの幹の中には黒く焦げて炭化した痕跡。蔵前の三筋町には焼け残った電柱跡がマンションの横に残り、大空襲の火焔の凄さを物語っている。まさに、自分が立っているこの場所が80年前には紅蓮の炎に包まれていたことを想像すると足がすくむ。
東京大空襲が始まったのが午前0時8分ごろ。空襲警報が発令されたのは午前0時15分だ。これでは大空襲が既に始まってから空襲警報が出たことになる。住人はどうしたのだろうか、逃げ切れなかった多くの人々を思うほどに胸が痛む。
破綻した戦争保険
太平洋戦争当時、損害保険では国家統制による戦争保険制度が実施されていた。本土空襲が激化する中で契約件数も飛躍的に増加した。「挑戦と躍進 安
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