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新ヨーロッパ通信

浩宮様ドイツ随行記(上)

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 私はミュンヘンに34年前から住んでいる。ニュンフェンブルク宮殿の広大な森をジョギングするのが日課だ。この宮殿の前を通るたびに、私はある人を思い出す。それは現在の天皇陛下だ。なぜか?その顛末をご紹介しよう。
 私は1982年にNHKに採用された。3カ月間の研修の後、神戸放送局に記者として配属され、そこで5年間働いた。87年に、神戸から東京の国際部に配置換えになった。
 まもなく私は、ある事情から、一時的に社会部の宮内庁特別夜回り取材班に編入された。このため私は宮内庁の記者クラブに在籍していた。夜回りとはメディア業界用語で、取材先を深夜に自宅に訪ねて取材することである。夜回り取材班に抜てきされたのは、1982年から87年まで働いた神戸支局で5年間、刑事や検事への夜討ち朝駆けばかりやり、いくつか小さい特ダネを書いていたせいかもしれない。神戸は事件が多く、記者が顔を出す現場レポートが全国に放送されることが多い。このため時々、東京の幹部から強い「引き」がある。私が神戸で働いていた5年間には、グリコ森永事件、朝日新聞阪神支局襲撃事件、暴力団山口組と一和会の抗争、日本で初のエイズ患者発見など、全国的に注目される事件が多かった。下宿に帰るのは毎晩午後11時過ぎ。私は常に睡眠不足の状態で仕事をしていた。
 東京へ来てからは初めのうち、衛星放送の単調な仕事ばかりやらされて不満だったので、夜回り班に入れてもらえてうれしかった(それくらい衛星放送の仕事に不満を持っていた)。
 私は宮内庁広報課から記者証を支給され、タクシーで皇居に自由に出入りができた。まずびっくりしたのは、皇居内部の巨大さだ。皇居の中にはしんと静まり返った原生林のような深い森がある。クマはいないだろうが、アオサギかタヌキくらいは出てきそうだ。東京の真ん中にいるとは思えない。何千台もの車を停められそうな広大な駐車場があった。
 1987年に現在の天皇(当時は浩宮様)がドイツを訪問した時、私は随行記者団のメンバーの1人として同行を命じられた。特別取材班の指揮をとっていた社会部副部長から、「お前はドイツ語を話せるから同行しろ」と任命された。
 「宮内庁クラブのベテラン記者の皆さんを差し置いて、私のような若造が行くのは申し訳ない」と一瞬思ったが、めったにないことなので拝命した。
 御訪欧の主な理由は、西ベルリンの日独文化センターの開所式へのご出席だった。この建物は、現在、日本大使館になっている。
 (つづく)
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

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