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日本のGDPはなぜ独に抜かれたのか(中)

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 1980年代にも日本経済の破竹の進撃は続いた。80年~90年の日本の名目GDP成長率もバブル景気の影響で134.1%と高くなり、ドイツ(89.6%)を上回った。90年の日本の名目GDPは2兆4588億ドルと、ドイツ(1兆5450億ドル)のほぼ1.6倍になった。89年には日経平均株価が3万8957円44銭という当時の最高値に達した。日本の目覚ましい経済成長率はドイツをさらに引き離すかに見えた。だが、90年以降のバブル崩壊の影響で、90年~2000年の日本のGDP成長率は、80年~90年の約3分の1に激減した。
 このため、日本の90年~2000年の名目GDP成長率(40.8%)は、ドイツ(44.8%)に追い抜かれた。日独間の成長率の格差は21世紀に入ってさらに広がる。2010年~20年のドイツの名目GDP成長率は51.2%だったが、この時期の日本の名目GDP成長率は18.4%と3分の1に満たない。
 2000年から20年までの時期は、日本では「失われた20年」と呼ばれる。この時期の日本の名目GDP成長率は70.3%だったが、ドイツの成長率は日本の2.1倍の149.6%だった。90年代まで日独間で広がっていた成長率の差が、特に2010年代以降急激に縮まった。
 2010年~20年のドイツの名目GDPの成長率は51.2%で、2000年~10年の成長率(42.4%)を上回った。10年以降ドイツの成長率が伸びた一因は、1998年から2005年まで首相を務めたゲアハルト・シュレーダー氏が断行した労働市場・社会保障制度改革「アゲンダ2010」だった。当時ドイツは労働費用の高さのために競争力が弱まり、02年以来失業者数が400万人を超えていた。彼は首相に就任した時、「自分の政治家としての価値は、失業者の数を大幅に減らせるかどうかで判断してほしい」と語った。彼は失業者の数を減らすために、企業の労働費用負担を削減して収益性・競争力を高めることを最重要の政策目標にした。彼は03年に連邦議会で「アゲンダ2010」を宣言し、この国で最も大胆な労働市場・社会保障改革に踏み切った。
 シュレーダー政権は、公的健康保険のカバー範囲を狭くしたり患者の自己負担額を増やしたりすることで、保険料の伸び率を抑えた。公的年金保険の保険料が賃金に占める比率を19.5%に抑えるための法律を施行させた。シュレーダー氏は、公的年金の支給開始年齢を65歳から67歳に引き上げるべきだと主張し、改革作業に着手した。そのための法案は、彼が首相を辞任した2年後に連邦議会で可決された。社会民主党に所属し、本来は労働者側に立つべき政治家が、企業収益を増やす改革を実行したのだ。
 (つづく)
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

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