ページトップ

Column コラム

ホーム コラム 新ヨーロッパ通信 国立マンション騒動の背景
新ヨーロッパ通信

国立マンション騒動の背景

SHARE

Twitter

 私は今年5月から7月まで日本に滞在した時、「国立市の分譲マンションが引き渡し直前に、住民からの景観をめぐる抗議のために取り壊されることになった」というニュースを聞いた。
 私がこのニュースに関心を持ったのは、国立という町をよく知っているからだ。私は国立市民ではないが、隣接した市に長年住んでいた。1981年まで7年間にわたり、毎日国立駅を使って高校と大学に通った。このため、国立の富士見通りの景観をよく知っている。特に冬の夕方には、赤く染まった空に富士山のシルエットが浮かび、美しかった。
 問題のマンションは今年7月に契約者に引き渡されることになっていたが、建設会社に住民から「マンションのために富士山が見えなくなった」という苦情が殺到した。このため、建設会社はマンションの引き渡し直前に解体を決めた。
 私はこの話を聞いた時、「じつに国立らしい話だ」と思った。というのは、国立では景観をめぐって住民が反対運動を繰り広げた例がこれまでも何回かあったからだ。例えば、国立駅の南の大学通りの西側に44階建てのマンションが建てられるという計画が発表された時には、住民が訴訟を起こして2003年に勝訴した。裁判所は建設会社に対して、景観が破壊されるという理由で、マンションの20メートルを超える部分を撤去するよう命じた。
 1970年には、大学通りの歩道橋建設計画を住民が裁判で阻止しようとした。ただし、裁判所は住民の訴えを退け、歩道橋は建設された。
 JR東日本は中央線・国立駅の高架化に伴い、大正15年に建設された三角屋根の駅舎を撤去しようとしたが、住民たちが駅舎の保存を求める運動を開始した。JRは住民の要求を受け入れて、駅舎を解体して部材を保存した。中央線の高架工事の終了後、JRは新しい駅の南側に旧駅舎を再建し、市民の憩いの場とした。保存運動には、国立に住んでいた歌手、忌野清志郎も加わっていた。
 国立市には一橋大学、桐朋学園、国立高校など教育施設が多い。このため、国立駅を中心とした半径1.3キロの地域は1952年以来文教地区に指定されており、パチンコ店などの営業が禁止されている。これも市民の要請による。
 それにしても、引き渡し直前に解体が決まるというのは珍しい。マンションを建てた会社は、建設を始める前に地域の住民たちの了解を得ていなかったのだろうか。この町の住民パワーの強さを知っていたら、周到な準備を行っていたはずだが…。
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

SHARE

Twitter
新着コラム