スイス名画コレクションの闇(上)
チューリッヒの旧市街にある美術館・クンストハウスは、2021年に新館をオープンさせた。ベージュ色を基調とした瀟洒な建築物だ。この建物の3階に、欧州で最も激しい議論を呼んでいる名画コレクションがある。
それは、ドイツ生まれのスイス人実業家エミール・ビューレ(1890年~1956年)が集めた美術品だ。欧州の絵画に関心のある人ならば、その見事な内容に驚くはずだ。セザンヌの「赤いチョッキを着た少年」「サント・ヴィクトワール山」、ルノワールの「イレーヌ」、モネの「睡蓮」など、フランス印象派や野獣派、ドイツ表現主義の画家たちの作品203点がずらりと並んでいる。
このコレクションについて激しく議論が行われている理由は、ビューレがこれらの作品を、第二次世界大戦中から戦後にかけて、武器販売から得た巨額の富によって購入したからだ。しかもビューレは、武器の大半をナチス・ドイツに輸出していた。彼のエリコン・ビューレ工作機械製作所(WO)は、1940年から44年にかけて、枢軸国ドイツ、イタリアなどに20ミリ対空機関砲7013基、弾薬1500万発などを販売し、総売上高は20億スイスフラン(3520億円、1スイスフラン=176円換算)に上った。第二次世界大戦の初期には同社の兵器の一部は米国や英国にも輸出された。
ビューレがこれほど大量の武器を枢軸国に売っていたのは、政府の指示に基づくものだった。中立国スイスが、ナチスドイツに大量の武器を供給していたのは意外である。連合軍は一時WOを利敵企業としてブラックリストに載せ、兵器輸入を禁止した。
ビューレは武器輸出によってスイス一の富豪になった。彼の趣味はフランスを中心とした絵画の収集だった。彼は財力にものを言わせて、1936年から56年にフランス印象派などの作品を中心に633点を購入した。
彼は1940年以来、クンストハウスの美術品収集委員会に属した他、役員会にも席を連ねた。52年にはフランスで購入したモネの「睡蓮」をクンストハウスに寄贈した。つまり、ビューレはスイスの美術界と緊密な関係を持ち、同国の美術品のコレクションを充実させることに大きく貢献した。彼の死後、ビューレ財団は、その収集品をクンストハウスに長期的に展示させることに同意した。
ただし、スイスのリベラルな美術史家や政治家たちの間では、「ナチスの戦争政策に間接的に加担して私腹を肥やした人物の収集品を展示することは、道義的に問題があるのではないか」という疑問の声も上がっている。
(つづく)
(文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
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