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新ヨーロッパ通信

連帯発祥の地・グダニスク造船所

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 2024年11月、私はポーランド北部の港町グダニスクを訪れた。バルト海からの冷たい風が吹きつける中、私はグダニスク造船所の門をくぐった。ポーランド民主化の先鞭をつけた自主管理労働組合「ソリダルノスチ(連帯)」は、1980年にここで産声を上げた。私が向かったのは、BHPホールと呼ばれる、古めかしい煉瓦造りの建物だ。
 1980年当時、ポーランドの社会主義経済は疲弊しており、食料や消費物資が不足していた。同年7月に政府が食料品価格を引き上げたところ、当時レーニン造船所と呼ばれていたこの造船所の労働者たちがストライキに突入した。労働者たちは政府に対する21カ条の要求を木の板に書きつけて造船所の門の上に掲げた。労働者たちはこの中で、賃上げやストに参加した労働者を処罰しないこと、新聞の検閲廃止、全欧安全保障協力会議(OSCE)が人権尊重や武力不行使などを定めたヘルシンキ宣言の公表などを要求した。
 労働者たちと政府の間の交渉は難航した。しかし、1980年8月31日に両者は合意に達し、BHPホールの会議場で「グダニスク合意書」に調印した。ポーランド政府は、自主管理労組・連帯の結成を承認した。ストライキを指導した造船所の電気工レフ・ワレサが、連帯の委員長に就任した。
 ソ連に支配されていた東欧で、政府にコントロールされない労働組合が結成されたのは初めてである。連帯の特徴は、非暴力主義と人権の重視である。
 だが、ポーランド政府は1981年12月に戒厳令を敷き、ワレサを含む連帯の関係者約1万人を逮捕し、組合の活動を禁止した。ただし、政府による弾圧も民主化への渇望を封じ込めることはできず、連帯は地下活動を続けた。連帯の結成は、1989年のベルリンの壁崩壊、東欧の連鎖革命、民主化とソ連崩壊の糸口となった。ワレサは1983年にノーベル平和賞を受賞し、1990年から95年までポーランドの大統領を務めた。
 グダニスク造船所には連帯に関する大規模な博物館があり、多くのポーランド人の若者たちが訪れて連帯の歴史を学んでいた。この博物館の前には、高さ約40メートルの十字架のような慰霊碑がある。これは、1970年に物価引き上げに抗議してポーランド人たちが抗議デモやストライキを行った際に、警官隊に射殺された約40人の労働者たちに捧げられたものだ。慰霊碑は、連帯結成後の1980年12月に建設された。
 この造船所は、圧政に対して非暴力主義で戦うことの重要性と先人の勇気を心に刻ませる、稀有な場所である。
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

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