フランクフルトとロスチャイルド家(1)ユダヤ人ゲットーにて
ドイツ最大の金融都市フランクフルト。マンハッタンのように高層ビルが立ち並んでいる。
マイン川に面して、白亜の壁を持つ古風な4階建ての豪邸がある。1820年に建てられたこの屋敷は現在ユダヤ博物館になっているが、かつて金融業で欧州に勇名をはせたロスチャイルド家の人々が住んでいた。
1846年に、銀行家のマイヤー・カール・フォン・ロスチャイルド(ドイツ語ではロートシルト)男爵がこの家を購入した。それ以来、建物は「ロスチャイルド・パレス」と呼ばれるようになった。
フランクフルトは第二次世界大戦中に連合軍の爆撃によって甚大な被害を受けたが、この建物は破壊を免れた。フランクフルト市当局は1980年代にこの建物をユダヤ博物館に改装した。2020年には隣に新しい建物を増設するとともに、ユダヤ人たちの生活・歴史についての常設展がある。
フランクフルトの歴史はユダヤ人とは切り離せない。この町には11世紀からユダヤ人たちが住んでいた。彼らは中世にも厳しい差別にさらされていた。ここには、ドイツで最初のユダヤ人ゲットー(居住区)が設置された。ゲットーは1460年に設置され、ユダヤ人たちはそこに住むことを強制された。ゲットーは壁で囲まれており、外部との行き来ができる出口は三つの門だけだった。彼らは仕事の目的以外でゲットーを離れることを許されず、ゲットーの外で食堂や居酒屋に入ることを禁じられた。ユダヤ人たちは夜はゲットー以外の街区への立ち入りを禁止された。
ゲットーの中心は、「ユーデンガッセ(ユダヤ人の路地)」と呼ばれる幅3メートル、長さ330メートルの、南北に湾曲した道だった。190軒の家が密集しており、17世紀には約3000人のユダヤ人が住んでいた。近世のドイツでは最大のユダヤ人居住区だった。18世紀には3回にわたり大火に襲われたが、そのたびに再建された。
1796年にはユダヤ人のゲットー居住義務が廃止され、その後この地区は荒廃して、貧民窟になった。このため、市当局が19世紀に建物を取り壊したため、ゲットーの痕跡は残っていない。
ゲットーは、ユダヤ博物館の東約1.5キロの所にあった。1980年にビルの建設工事中にゲットーの建物5棟の礎石が発見され、この場所にゲットーに関する博物館が建てられた。
19世紀に欧州最大の金融機関となるロスチャイルド銀行の前身は、このユダヤ人ゲットーの一角で産声を上げた。
(つづく)
(文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
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