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新ヨーロッパ通信

記者たちの定年

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 私は1990年まで8年間、NHKの記者として働いた。このところ、NHKで同期だった記者や報道ビデオカメラマンたちが、出向していた子会社からも卒業して、どんどん定年退職していく。彼らもこれからは会社勤めを辞めて、自由時間が増える。家族と旅行したり、趣味に打ちこんだりできるだろう。ご同慶の至りだ。
 ところで、私は彼らよりも33年早く、NHKを辞めた。最後の役職は、ワシントン特派員だった。私は当時も米国より欧州への関心が高かったので、NHKに対する未練は全くなかった。1989年にベルリンの壁が崩壊し、まさに百年に一度あるかないかの変化を経験しているドイツに、一刻も早く行きたかった。NHKで時々経験する徹夜労働も、そろそろ御免だった。
 1990年にワシントン支局で「NHKを辞めてドイツに行きます」と言ったところ、当時の上司は、「欧州の特派員にしてやるから、辞めるな」と言ったが、私の決意は変わらなかった。NHKの特派員としてドイツへ行っても、3~4年で転勤になってしまうからだ。私は欧州に腰を落ち着けて定点観測をしたかった。NHKでワシントン特派員が辞めたというのは、後にも先にも一度もなかった。当時の上司は、NHKのニューヨーク特派員、パリ特派員も務めたエリートだった。
 いろいろな人に迷惑をかけたが、33年前に辞めたおかげで、欧州や中東、アジアの、日本人が知らない側面を見ることができた。その経験を基に、28冊の本を上梓した。これは、NHKに残っていたらできなかったと思う。特に、報道機関の上司に言われてどこかに出張するのではなく、自分の判断で行く場所や期間を決めて出張する。これは、本当に楽しい。
 同期の記者たちを見ていて残念に思うことは、報道現場を離れてから記事を発表したり、本を書いたりする人が本当に少ないことだ。大半の記者は、50代を過ぎると現場から外される。せっかく取材や執筆に関する貴重なノウハウをNHKで学んだのだから、是非それを生かして、書き続けてほしい。
 大半の記者は、「退職したらフリーの物書きになろう」と思っていると思うが、そんなに甘いものではない。前述の元ニューヨーク特派員だった元上司も、NHK退職後「日本にはないクォリティー・ペーパーを作る」と抱負を語っていたが挫折し、すでに鬼籍に入っている。
 メディア業界には、こんな言葉がある。「筆は1本、お箸は2本」。字を書いて食べていくことは、本当に大変だという意味だ。私は33年間の経験で、そのことを学んだ。
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

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