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ナチスの略奪美術品と岩塩坑

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 私は今年1月、ミュンヘンの南西230キロにあるアルトアウスゼーという湖を訪れた。オーストリアのシュタイヤー地方にあるこの湖は、周囲に険しいアルプス山脈が切り立つ静かな保養地だ。この地域は、ザルツブルク(塩の町)、ザルツカマーグート(塩の蔵)という地名からもわかるように、古代ローマ時代から岩塩の採掘地として知られ、岩塩坑が多い。古代、中世には塩は貴重品だった。
 この湖の北西の山中にあるアルトアウスゼー岩塩坑は、第二次世界大戦、そして欧州美術史の中で重要な役割を演じた。1943年以降、ナチス・ドイツは欧州の美術館や教会から略奪した美術品をこの岩塩坑に隠した。
 ここに収蔵された美術品は絵画6500点、ミケランジェロの「ブリュッゲの聖母子」などの彫像、家具、骨董品、古銭などで、約1500個の木箱に梱包されていた。15世紀に初期フランドル派のファン・エイク兄弟が制作したヘントの祭壇画も、ナチスに略奪されてこの岩塩坑に運び込まれた。
 アドルフ・ヒトラーはオーストリアのリンツに「総統美術館」を建設して、欧州各地で盗んだ美術館を展示することを夢見ていた。アルトアウスゼーに秘匿された美術品は、この総統美術館に展示するための作品だった。この保養地が選ばれた理由の一つは、ナチスの高官たちが別荘を持っていたことだ。
 だが、連合軍がドイツやオーストリアに迫った1945年4月、この地域のナチス幹部が略奪美術品ごと岩塩坑を爆破するために、ここに500キログラムの航空爆弾8発を運び込ませた。しかし、機転を利かせたアルトアウスゼーの一部の市民たちが爆弾を撤去し、岩塩坑の入り口を封鎖することで、美術品を破壊から救った。もしも彼らが爆弾を取り除かなかったら、多数の貴重な美術品が永遠に失われるところだった。
 1945年5月に米軍がこの地域を占領した。米軍には、ナチスの略奪美術品を調査、管理する特別な部隊があった。彼らはアルトアウスゼーの岩塩坑で見つかった美術品を鑑定してミュンヘンに輸送し、盗まれた博物館や美術館への返還作業を担当した。
 岩塩坑に隠されていた美術品のうち約570点は、フランス、ポーランド、チェコスロバキアなどでユダヤ人から没収されたもので、作品は本人や家族に返還された。ただし、略奪された美術品の一部については、来歴や所有者の特定がしばしば困難を極めている。欧州の文化遺産を盗んで独り占めしようとしたヒトラーとナチス高官たちの罪は、深い。
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

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