ページトップ

Column コラム

ホーム コラム 新ヨーロッパ通信 ワグネル反乱の謎(上)
新ヨーロッパ通信

ワグネル反乱の謎(上)

SHARE

Twitter

 6月24日、「事実は小説より奇なり」という言葉を思い出させる事件が起きた。ロシアの民間軍事会社ワグネルが、プーチン政権に反旗を翻したのだ。同社の兵士2万5000人はウクライナ軍と戦っていたが、同社のプリゴジン代表はロシア南部のロストフに戦車を配置し、ロシア軍司令部を一時占拠した。プリゴジン代表はロシア正規軍と事あるごとに対立していたが、「ロシア軍は私の部隊をロケット弾で攻撃し、死傷者が出た」と抗議していた。
 この日ワグネル部隊は高速道路を使って北上し、ロシア軍の抵抗に遭遇しないまま、首都モスクワまで約200キロの地点まで迫った。プーチン大統領はテレビ演説で、「ワグネル部隊の行動は、われわれの背中にナイフを突き刺す行為だ」として強く非難。反乱をやめない場合には厳しく処罰すると脅した。
 しかし、同日夕刻に突然ワグネル部隊は進撃を中止した。ベラルーシのルカシェンコ大統領の仲介で、プリゴジン代表は戦闘部隊のモスクワ入りを中止させた。プリゴジン代表やワグネルの将兵は、処罰されずに、ベラルーシに移動できることになった。ロストフに展開していたワグネル部隊も、ウクライナの兵営に撤収した。
 つまり、プーチン大統領は、この日は反乱部隊を攻撃・処罰せず、手打ちにして事態を収拾した。流血の事態は避けられたが、彼は中途半端な対応によって、威信を大きく引き下げた。「強い指導者」というイメージに傷がついた。
 このような反乱が起きた場合、普通政府の指導者は反乱軍に投降を呼び掛け、「X時までに投降しなければ総攻撃して殲滅する」と最後通告を言い渡す。だが、今回プーチン大統領は「反乱部隊を処罰する」とは言ったものの、最後通告は言い渡さなかった。しかも、この日はプリゴジン氏を処罰せずベラルーシへの移動を許した。これはプーチン大統領とロシア軍の弱さを全世界に示した。
 1944年7月20日にドイツ国防軍の将校たちは謀反を実行し、ヒトラーを爆弾で殺そうとした。死を免れたヒトラーは首謀者らを即刻処刑させるとともに、国防軍の将校団を徹底的に弾圧した。関与が疑われた者を拷問の上絞首刑にしただけではなく、家族まで強制収容所に送った。ヒトラーはこの強硬かつ残忍な手法により、「鉄の支配」が続いていることを内外に示した。
 これに対し、ワグネル部隊の反乱でプーチン大統領が示した煮え切らない態度は、「鉄の支配」を示すものではなかった。(つづく)
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

SHARE

Twitter
新着コラム