イスラエルの油断(1)
私はハマスの大規模テロの一報を聞いて、「なぜイスラエルの諜報機関モサドやシン・ベトは、これほど大規模な攻撃を事前に察知できなかったのか」と不思議に思った。
例えば、ガザ地区周辺の警戒は手薄だった。音楽祭の会場でハマスの戦闘員に襲われ、灌木などの陰に隠れて生き延びた若者たちは、「最初のイスラエル軍兵士が現場に到着するまで、9時間もかかった」と証言している。イスラエルが四国くらいの大きさの小国であることを知っている私には、なぜこんなに時間がかかったのか理解できない。
ハマスは3000発を超えるロケット弾を製造し、ハンググライダーによるイスラエル侵入という新戦法も準備していた。殺害された戦闘員の軍服からは詳細な作戦命令書も見つかっており、この作戦が周到に準備されていたことがわかる。世界で最も優秀な諜報機関を持っているといわれたイスラエルが、これほど大掛かりな作戦の予兆をキャッチできなかったことは、驚きである。
私自身、テロに対するイスラエルの警戒態勢が、過去に比べて緩んできたという印象を持っていた。
私はNHKで8年間記者として働いた後、1990年からドイツのミュンヘンに住み、フリージャーナリストとして欧州諸国について取材、執筆を行っている。その過程でイスラエルにも強い関心を持ち、2003年以来11回訪れた。ドイツが過去に犯した犯罪について理解するためには、イスラエルという国を知ることが不可欠だからだ。中東情勢をはじめとする国際問題について報じるためにも、イスラエルを知ることは欠かせない。
私がイスラエルで学んだことは、世界でこの国ほど治安の確保にコストと時間をかけている国はないということだった。
私が初めてイスラエルに行った2003年は、イスラエル軍とパレスチナのテロ組織が第2インティファーダと呼ばれる武装闘争を繰り広げている真っ最中だった。ヨルダン川西岸やガザ地区からのテロリストたちが、エルサレムやテルアビブのレストラン、喫茶店、商店街、リゾート地、バス停留所などで自爆テロを頻繁に行っていた。ある朝、イスラエルで英字新聞を広げると、1ページ全体に写真が印刷されていた。パレスチナのテロリストに爆破された乗合バスの残骸だ。バスの骨組みからは、イスラエル人の遺体がぶら下がっている。自分の乗ったタクシーが乗合バスの横を通る時には、いつこのバスが爆発するかわからないと思って、肝を冷やした。
(つづく)
(文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
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