EUの核武装をめぐる議論(下)
これまでもドイツでは核武装をめぐる議論があった。政治学者クリスティアン・ハッケ教授は、2018年7月にドイツの月刊誌「キケロ」と保守系日刊紙「ヴェルト」に掲載した論文の中で、「トランプ大統領(当時)はEUやNATOを批判する一方で、北朝鮮、ロシアといった強権的指導者たちに接近するという、歴代の米国大統領には全く見られなかった異常な態度を示している」と述べ、米国の対外政策が根本的に変わったと指摘した。
しかも教授は「トランプ氏が将来大統領の座から降りれば全て元通りになると考えるのは甘過ぎる」と警告する。「米国は17年間に及ぶ対テロ戦争に疲弊しているので、将来別の人物が大統領になっても米国は欧州の防衛へのコミットメントを減らす」というのだ。
このためハッケ教授は「ドイツは自国と欧州の安全保障を強化するために、独自に核兵器を持つことを検討するべきだ」と提案した。ハッケ教授は「ドイツでは核武装についての論議はタブーとなっており、大半の政治家は見ざる、言わざる、聞かざるを決め込んでいる。だが、米国の核の傘の消滅の可能性が強まりつつある中、ドイツは将来起こる危機に備えて、新たな軍事ドクトリンを持たなくてはならない」と主張している。
ハッケ教授は米国と欧州の安全保障問題を専門としており、ハンブルクのドイツ連邦軍大学とボン大学で教鞭を取った経験を持つ。ドイツには冷戦時代から、NATOを柱とする防衛体制こそが欧州の安定の要だと考えて、米国との関係を重視する政治学者が多かった。彼らは大西洋主義者(アトランチスト)と呼ばれ、いわばドイツの国際政治学界のメインストリームだった。ハッケ氏もその一人である。だが、19年当時には彼の提案は学界であまり注目されず、政界でも「非現実的だ」と黙殺された。
だが、ロシアのウクライナ侵攻後の今では欧州の状況は一変し、EUの核武装が堂々と議論されるようになった。特に筆者にとって感慨深いのは、フィッシャー元外相の発言だ。緑の党は1980年に結党された当時、核兵器の全廃やドイツのNATOからの脱退を要求した。同党の源流は、米ソ間の核戦争の危険を背景とする反核・反原発運動だった。その党に属する政治家が、「EUは独自の核抑止力を持つべきだ」と語ったのだ。ロシアのウクライナ侵攻以降は、それまでの安全保障に関する座標軸・常識はもはや通用しない。EUの核武装をめぐる議論は、そのことを明確に示している。
(文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
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