ミュンヘンで「アイヒマン誘拐作戦」展
昨年12月、ミュンヘンのエジプト博物館で風変わりな展覧会を見た。「ナチスを捕まえる方法」という題名が付けられている。テーマは、イスラエルの諜報機関モサドが、1960年5月にアルゼンチンに潜伏していたナチス親衛隊のアドルフ・アイヒマン中佐を誘拐した作戦だ。もともと米国で開かれた巡回展だが、あるユダヤ人企業家がドイツの若者向けにミュンヘンで開催させた。
アイヒマンは、ナチスの帝国保安主務局・ユダヤ人課の課長で、欧州に住んでいた1100万人のユダヤ人の殲滅計画を実行し、約600万人がアウシュビッツ強制収容所などで虐殺された。第二次世界大戦後、アイヒマンは南米に逃亡し、リカルド・クレメンツという偽名で妻子とともにブエノスアイレスで生活していた。
だが、ドイツの検事フリッツ・バウアーが現地に住むドイツ人から得た目撃情報をイスラエル政府に伝え、モサドは11人の要員をアルゼンチンに派遣した。モサドはアイヒマンを自宅前で逮捕し、エルアルイスラエル航空の旅客機でイスラエルに連行した。バウアー検事(ユダヤ人)が、外務省を通じて正式な捜査共助をアルゼンチンに要請せず、モサドに直接情報を渡したのは、当時西ドイツ政府では多数の元ナチス党員が働いていたため、情報がアイヒマンに漏れることを懸念したからだ。
展覧会では、モサドの要員のパスポートの偽造に使われたタイプライター、アイヒマンの隠し撮りに使われた小型カメラ、自動車に取り付けた偽造ナンバープレート、モサドの捜査資料などが展示されている。このライカのカメラは重要な役割を果たした。モサドがリカルド・クレメンツはアイヒマンだと確信したのは、偵察班が隠し撮りした写真の耳の形が、戦争中に撮影された写真の耳の形と一致したからだった。
誘拐チームはイスラエルに戻る時、アイヒマンに麻酔を投与し、病人としてエルアル機にのせた。その際に、機内での目隠しとして、アイヒマンにテープを貼った潜水用眼鏡をかけさせた。その潜水用眼鏡も展示されていた。
この展覧会がエジプト博物館で開催されたことにも理由がある。エジプト博物館が建っている土地は、ナチス党の建物の建設予定地だったからだ。
アイヒマンはエルサレムで裁判にかけられ、「自分は歯車の1個にすぎない。命令を実行しただけだ」とユダヤ人虐殺の責任を否定したが、有罪判決を受けて1962年に絞首刑に処せられた。彼の遺体は焼かれ、遺骨と灰は地中海にまかれた。
(文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
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