カタルーニャ独立騒動の余韻
バルセロナの町を歩いていると、時々窓やベランダから、黄色と赤色の縞模様に、青い三角形に白い星を配した旗が掲げられている。カタルーニャ州のスペインからの独立を求める人たちだ。カタルーニャ州の旗の図柄は黄色と赤色の縞模様だけであり、青い三角形と白い星はない。ある大通りの歩道では、カタルーニャ独立運動を推進している人たちが露店を出して、Tシャツやステッカー、パンフレットを並べていた。
スペイン北東部のカタルーニャ州の人口は約770万人。州都バルセロナを中心として、この国で最も工業化が進んだ裕福な地域である。
カタルーニャ州では一部の政治家がスペインからの独立を要求し、2017年10月に住民投票を実施した。投票率は約43%と低かったが、投票した人の9割が独立に賛成した。このため、カタルーニャ州議会は同月、スペインからの独立を宣言した。だが、スペイン政府はこの宣言を無効と見なし、カタルーニャ州行政府の統治権を一時剥奪した。国際社会も独立を承認しなかった。独立運動の中心人物は、16年から約2年間カタルーニャ州の首相を務めたカルラス・プッチダモン氏だった。彼はスペイン政府によって州首相の役職を追われ、検察庁によって反逆罪で起訴された。このため、彼は国外へ逃亡し、今なおスペインに帰ることができない。カタルーニャでの独立派の集会にときおり現れることがあるが、すぐに姿をくらませる。
ある外交官によると、独立を望むカタルーニャ市民の比率は、10~20%にとどまっている。それでもここでは、自治を尊ぶ気風が非常に強い。例えば、この州の公用語はスペイン語ではなくカタルーニャ語だ。フランス語やイタリア語の影響が強く、スペイン語とはかなり異なる言語だ。この州の学校の授業は原則としてカタルーニャ語で行われる。役所などで使われる公文書も、スペイン語ではなくカタルーニャ語だ。空港や高速道路の表示も、まずカタルーニャ語で、次にスペイン語で書かれている。
17年の独立騒動は、経済にも悪影響を及ぼした。当時バルセロナに本社を持っていた大手銀行などが、カタルーニャ独立を恐れて、バレンシアなどに本店を移したのだ。このため、一時カタルーニャの失業率が上昇した。工業化が進んでいるとはいえ、人口800万人足らずの地域が独立国としてやっていけるとも思えない。
カタルーニャ独立騒動は、欧州に時折現れる過激なナショナリズム、分離主義の典型といえるかもしれない。
(文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
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