ページトップ

Column コラム

ホーム コラム 新ヨーロッパ通信 強制保護措置・負の歴史と向合うスイス
新ヨーロッパ通信

強制保護措置・負の歴史と向合うスイス

SHARE

Twitter

 今スイス人たちは、過去の負の遺産と対決している。今年10月、私はチューリヒ駅に近いスイス国立博物館に行った。この一角で、多くの市民たちがヘッドホンを着けて、画面に映し出されるお年寄りの証言に聞き入っているのを見た。
 このお年寄りは、1930年代のスイスで、強制的に親から引き離され、施設に収容されて強制的に働かされた子どもの一人だ。未婚の母から生まれた子ども、孤児、路上生活者の子どもたちは無理矢理施設に入れられ、農作業などを強いられた。多くの子どもは施設で虐待されたり、性的暴行を受けたりして、心身に支障をきたした。
 被害者は子どもだけではない。路上生活者、未婚の母、売春婦、アルコールや麻薬中毒者、長期失業者なども、「行政的保護措置」の名の下に拘束された。彼らは犯罪を犯していないにもかかわらず、数年にわたって労働施設や刑務所に送られて、強制的に働かされた。調査委員会によると、被害者の数は1930年から81年までに2万人から4万人に上った。収容される人の数が最も多かったのは1930年代で、毎年1000人を超える男女が収容された。
 恐ろしいのは、これらの人々が、裁判所の判決など法的な手続きなしに、地方自治体などの恣意的な判断によって収容施設に拘留されたことだ。したがって、親族などが抗議しても、一切聞き入れられなかった。さらに隣人などが「社会に溶け込まない不穏分子」として密告し、当局に逮捕されて施設に拘禁されるケースもあった。
 驚くべきことに、この強制収容措置は1980年代まで行われていた。スイス政府が1974年に欧州人権条約を批准したため、同国では81年に「行政的保護措置」を廃止した。被害者たちは精神病院や刑務所から釈放された後も差別され、心の傷に苦しんだ。
 21世紀に入って、スイスの政治家たちがようやく被害者の声に耳を傾け始めた。2010年に連邦参事会員(政府の閣僚)だったヴィドマー・シュルンプフ氏が、行政的保護措置の被害者たちに正式に謝罪した。政府は歴史学者から成る調査委員会(UEK)を設置。UEKは19年に、10巻にのぼる調査報告書を発表し、「行政的保護措置は、国家による恣意的かつ違法な自由剥奪だった」と結論付けた。14年には、被害者の名誉回復のための法律も制定された。
 21世紀になるまで、政府がこの人権侵害の責任を認めなかったことには驚かされる。同時に、自国の負の歴史を公表し批判的に取り組むスイス人たちの態度は、尊敬に値する。
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

SHARE

Twitter
新着コラム