ページトップ

Column コラム

ホーム コラム 新ヨーロッパ通信 グダニスクの郵便局跡にて
新ヨーロッパ通信

グダニスクの郵便局跡にて

SHARE

Twitter

 ポーランドは、第二次世界大戦で最も深刻な被害を受けた国の一つだ。この国は西と東から侵攻したナチス・ドイツとソ連によって占領されて国土を分割され、一時地図の上から消された。この戦争で死亡したポーランド人の数は約600万人。1939年の人口(約3500万人)の約17%だ。この比率は、ソ連(約14%)やドイツ(約9%)よりも高い。クラクフを除く大半の主要都市は、徹底的に破壊された。
 私はポーランドに来るたびに、「ここは慰霊碑の国だ」と感じる。国の至る所に第二次世界大戦の犠牲者を悼む石碑やモニュメントが置かれているのだ。
 昨年11月、私はグダニスクの住宅街で、レンガ造りの重厚な建物を訪れた。第二次世界大戦との関連で、ポーランド人にとって忘れられない遺構だ。19世紀に軍の病院として建てられたこの建物には、1920年に郵便局・電信電話局が置かれた。1939年9月1日にナチス・ドイツはポーランドに侵攻して、第二次世界大戦の火ぶたを切った。この日、郵便局には58人の職員がいた。
 ドイツ軍は装甲車や歩兵砲を使って建物を攻撃し、14人の郵便局員が戦死した。残りの職員たちは捕虜となり、同年10月にドイツ軍に処刑された。射殺された職員たちの遺骨が埋められた場所は長年にわたり不明だったが、地下駐車場の建設工事の際に偶然発見され、1992年に戦没者墓地に埋葬された。ポーランド政府は大規模な慰霊祭を挙行し、レフ・ワレサ大統領も参列した。慰霊祭には数千人の市民が集まった。建物の正面の壁には、戦死者の名前が掲示されている。この郵便局がポーランド人たちにとっていかに重い意味を持っているかがわかる。
 この戦闘は、カンヌ映画祭で金賞を取ったフォルカー・シュレンドルフの映画「ブリキの太鼓」(1979年公開)でも再現された。
 郵便局での戦闘から40周年の1979年には、郵便局の前の空き地に、戦死した郵便局員たちのためのモニュメントも設置された。瀕死の郵便局員が、ギリシャ神話の勝利の女神ニケに小銃を手渡そうとしている。優勢な敵に襲われてもあきらめず、祖国を守るために命を落とした人々への敬意が込められている。
 欧州ではロシアのウクライナ侵略戦争がエスカレートしている。多くの欧州人が、「ロシアの矛先はウクライナでは止まらない」という不安を抱いている。私は郵便局跡を眺めながら、強国に翻弄されてきたポーランドの運命、そして欧州の未来に垂れ込める暗雲に思いをはせた。
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

SHARE

Twitter
新着コラム