ページトップ

Column コラム

ホーム コラム 新ヨーロッパ通信 中世都市グダニスクの数奇な運命
新ヨーロッパ通信

中世都市グダニスクの数奇な運命

SHARE

Twitter

 ポーランド北部の町グダニスクは、14世紀以来貿易や造船で栄えた。ハンブルクなどと同じハンザ都市であり、アムステルダムに似た雰囲気が漂っている。
 この町では、第二次世界大戦末期のソ連軍とナチスドイツ軍との間の攻防戦のために、建物の約90%が破壊されたり、損傷を受けたりした。しかし、第二次世界大戦後に、歴史的建築物の大半が見事に再建された。その結果、かつてのハンザ都市の面影を色濃く残す町となっている。
 旧市街を東西に横切る大通りには「長い市場」という名前が付けられている。この通りの東の端には、「緑の門」と呼ばれるフランドル様式の壮麗な門(16世紀)がある。洋館のように見えるが、1階が通路になっている。
 この「長い市場」という通りには、15世紀に建てられた市庁舎や14世紀に建てられた聖母教会など、堂々とした建築物が残っている。市庁舎は高さ81メートルの塔を持ち、グダニスクの町の象徴の一つとなっている。
 市役所の東側にあるアルトゥス宮は、もともと1342年に建てられ、第二次世界大戦で激しい損傷を受けたが戦後に再建された。白い壁が印象的な建物は、中世に商人たちが集まる社交場だった。
 「長い市場」からやや北側の裏道に、「大きな武器庫」と呼ばれる美しい建物がある。壁に精緻な浮彫が施され、壮麗な塔を持つ宮殿のような建物だ。1600年から1609年に建てられた。オレンジ色が混ざった明るい茶色と白の壁飾り、屋根を飾る彫像など、いくら眺めても飽きないほど美しい建物だ。
 この地域では、中世以来、ドイツ騎士団に代表されるドイツ系勢力とポーランド系住民の間で領土争いが絶えなかった。1920年にこの町はドイツ語のダンチヒという呼び名を持ち、ポーランドの領土の一部でありながら「自由都市」という地位を獲得した。1923年の国勢調査によると、この町の人口の95%がドイツ人で、道標や看板などはドイツ語で書かれていた。
 1939年に第二次世界大戦が始まると、ナチスはこの町をドイツ帝国に編入した。しかし、第二次世界大戦末期に町を占領したソ連軍は、町の統治をポーランドに委ねた。ドイツ人はこの町から追放され、財産も没収された。今日の町の名称はグダニスクであり、ドイツ語は全く使われていない。ドイツ語は、「ゴルトヴァッサー(金の水)」などの居酒屋の名前にしか残っていない。
 グダニスクは、中世以来続いた多くの戦争によって運命を翻弄された多くの市民たちの運命を象徴する町なのである。
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

SHARE

Twitter
新着コラム