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【新ヨーロッパ通信】サイゴンの街角から(2)ベトナム戦争の傷痕
サイゴンの旧大統領官邸に近い一角に、戦争証跡博物館がある。約300万人のベトナム人の生命を奪った戦争の犯罪性について学びたい人には、ここに行くことをお勧めする。
1975年に開かれた博物館の庭には、米軍が放棄していったヘリコプター、戦車、装甲車、戦闘機などが置かれているほか、米軍が投下した爆弾の一部が展示されている。米軍がベトナム、カンボジア、ラオスに投下した爆弾の量は750万トンにのぼる。
第二次世界大戦中にドイツに落とされた爆弾の量(270万トン)を大幅に上回る。
3階建ての博物館では、米軍による虐殺や、砲爆撃による死傷の実態についての展示・説明がある。特に1968年3月に南ベトナムのソンミ村で、米軍兵士が504人の村人を虐殺した事件についての展示が詳しい。この虐殺は、米国内で学生や市民の間でベトナム反戦運動が起こるきっかけの一つとなった。
展示室には、ナパーム弾による人体への被害や、投下すると空中で分かれて小型のボール爆弾がばらまかれる対人殺傷用の集束爆弾も展示されている。
特に悲惨なのは、米軍が空から散布した枯葉剤エージェント・オレンジによるベトナム人の健康被害に関する展示だ。猛毒ダイオキシンを含む枯葉剤によって、ベトナムの国土の約25%が汚染された。ベトナム赤十字は、ダイオキシンによって約100万人ががんなどの健康被害を受けたと発表している。
ダイオキシンに暴露された人々の子どもたちにも、深刻な被害が出た。博物館には、ダイオキシンによって著しい奇形を生じた人々の写真が多数展示されており、目をそむけたくなる。枯葉剤のために奇形を生じた胎児のホルマリン漬けの遺体が2体、展示されている。ある双子の兄弟は、1981年にダイオキシンの影響で身体が結合した形で生まれた。ドクとベトと名付けられた双生児は、分離手術を受けたが、ベトは2007年に死亡。ドクは今もサイゴンの病院で働いている。
博物館には、沢田教一など11カ国からの134人の報道カメラマンたちが撮影した写真を展示した部屋もある。彼らの多くは、最前線で取材中に死亡した。米軍が隠そうとする戦場の実態を世界に公表したメディアの存在意義は大きい。
米国は大量の物量と多数の兵員を投じたが、武装や装備で劣る北ベトナム軍やベトコンを屈服させることができず、ベトナムから撤退した。「共産主義の拡大を防ぐ」という大義名分の下に実施した軍事介入が残したのは、多数の死傷者と荒廃した国土だけだった。(づつく)
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)
筆者Facebookアカウント https://www.facebook.com/toru.kumagai.92