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新ヨーロッパ通信

【新ヨーロッパ通信】サイゴンの街角から(3)ベトコン・勝利のトンネル

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 サイゴンから車に揺られて約2時間。町の約70キロ北西に、クチという村がある。ここには、ベトナム戦争中に南ベトナム解放戦線の兵士たち(ベトコン)が建設した大規模なトンネルがあった。
 米国の爆撃に対抗するために、ベトコンたちはこの村のジャングルに、大規模な地下基地を築いた。トンネルの全長は約200キロ。基地は地下3階まであり、最も深い所は地表から10メートルの所にあった。学校や集会室、食堂、野戦病院もあり、雑草などで巧妙に隠された入り口には、敵襲に備えた落とし穴もあった。落とし穴は、先を鋭く尖らせて毒を塗った竹を使った単純なものだが、米軍兵士に恐怖感を与えて行動を鈍らせる効果はあったに違いない。
 調理をすると煙が出るが、敵に気づかれないように、外部に煙が出る排気口は、トンネルから何十メートルも離れたところに設けられていた。川に通じる出口もある。敵襲の際にはここで水にもぐって、川まで泳いで逃げるのだ。
 ある場所では、巧妙に偽装された木の蓋を開けると、トンネルの入り口があった。穴は狭く、1人がギリギリ入れるほどの大きさしかなかった。蓋を閉めると、地下基地への入り口があるとは全くわからない。
 トンネルの高さは約80センチ、幅は約60センチしかない。痩せたアジア人ならば通れるが、自動小銃を持った大柄な米国人が入ったら、途中で身体がつかえてしまうかもしれない。私も入ってみたが、立って歩くことはできず、膝をついて這っていくしかない。トンネルの中は漆黒の闇であり、壁が崩れて生き埋めになるような錯覚に襲われた。出口の光が見えた時には、ほっとした。私がここを訪れたのは3月だったので、暑さはひどくなかったが、真夏のトンネルの中は蒸し風呂のようになる。ベトコンたちは、猛暑と湿気の他に、毒蛇や毒虫、ネズミなどにも悩まされた。
 米軍は執拗(しつよう)に爆撃を繰り返したり、水を流し込んだりしたが、トンネルを破壊・占領することはできなかった。1968年1~2月には、南ベトナムの約100カ所でベトコンの兵士ら約8万人が突然米軍基地やサイゴンの米国大使館を攻撃した。いわゆるテト攻勢だ。米軍は虚を突かれ、態勢を整えるまで大混乱に陥った。当時南ベトナムの首都だったサイゴンを攻撃するベトコンの兵士たちは、クチのトンネルから出撃した。
 ベトナム人たちは温和だが辛抱強く、自国に侵攻してきた敵は徹底的に叩く。クチのトンネルは、彼らの忍耐力の象徴である。(つづく)
 (文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

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