コンテンツ
- ホーム
- 保険毎日新聞コンテンツ
- 連載コラム新ヨーロッパ通信
【新ヨーロッパ通信】サイゴンの街角から(8)中国人街・チョロンを歩く
サイゴン(ホーチミン)西部の中国人街チョロンで、私は天后廟という寺院に足を踏み入れた。1760年に中国からの移民たちが建てた。中国の寺らしく、派手な色彩が特徴だ。渦巻き型の線香が天井から沢山ぶら下がっており、寺院の中はもうもうとした煙に包まれている。
チョロンは、ベトナム語で大きな市場という意味だ。中国人街なので、看板に漢字を使った店も目立つ。確かにここは、町全体が巨大な市場のように見える。一歩裏通りに入ると、ベトナムの民族衣装アオザイ用の鮮やかな色の服地を売る店、ドアの取っ手だけを売る店、トラクター用のエンジンや部品を売る店などがずらりと並んでいる。祭に使う飾りや、色とりどりの提灯を売る店が目を引く。
青果市場の一角には、沢山の鶏が檻の中に入れられて、道行く買い物客を眺めている。檻の上にいる鶏は逃げないように、脚を格子に縛り付けられている。鮮度を保つために、生きたまま売られている。
チョロンの問屋街を歩いていると、黄色く塗られた教会の塔が見えた。1902年にサイゴンのカトリック教徒たちが建設した聖フランシスコ・ザビエル教会だ。鐘楼と時計の間には漢字で「天主堂」と書かれている他、内部の祭壇の十字架の上には「福」の字が見える。欧州と中国の様式が混在しているのが、ベトナムらしい。
今日は平和なチョロンにも、血塗られた過去がある。1963年11月には、南ベトナム政府のゴ・ジン・ジェム大統領を失脚させるためのクーデターが発生した。ジェム大統領は敬虔なカトリック教徒だった。彼は大統領官邸を密かに脱出し、チョロンの聖フランシスコ・ザビエル教会に逃げ込んで、神に祈っていた。しかしジェム氏はこの教会で反乱軍の兵士に逮捕され、装甲兵員輸送車に乗せられた後、車内で射殺された。
ベトナム戦争の残酷さを象徴する有名な写真が撮影されたのも、ここチョロンだ。1968年2月に、南ベトナム解放戦線の兵士たち(ベトコン)は一斉に蜂起し、南ベトナム政府軍や米軍の拠点に奇襲攻撃をかけた。いわゆるテト攻勢だ。米国の報道カメラマン、エディー・アダムズ氏はチョロンで捕虜になったベトコンの若者が、南ベトナム人の警察署長によって、拳銃で頭を撃ち抜かれる直前の瞬間を撮影した。若者の顔は恐怖でゆがんでいる。この写真のために、アダムズ氏はピューリッツァー賞を受賞した。
私はチョロンの路上でこの写真を思い出しながら、ベトナムに訪れた平和の貴重さをかみしめていた。(つづく)
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)
筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92