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うず

【うず】転勤制度は金属疲労を起こしたのか

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 企業が「同意なき転勤」をやめる流れが進んでいる。わが家は転勤族だった。新天地で一旗あげようと意気込む父の横で、都会暮らしを好んだ母が不機嫌に段ボールのガムテープをバリバリとはがす音が記憶に残る。父の転勤先の山口県では、瀬戸内海沿いの工業地帯に赤々と炎が立ち上っていた。コンビナートの灯りは高度成長期の沸き立つ生命力のように見えた。
 血管を流れる血のように脈打つ赤い光と瀬戸内海に沈む夕日―それが私の原風景となり、つらいことがある時は「もう一度あの風景を見にいこう」と奮い立たせてきた。数十年後に再訪したとき、灯りは細く、あの赤い炎は静かな余韻だけを残しており、時の流れの静けさを感じた。
 隣の広島県は、当時もどこか哀しみに包まれた街だった。「原爆」「平和」という言葉が、私たちの日常に自然に溶け込んでいた。読書感想文の季節になると、「ひろしまのピカ」「ガラスのうさぎ」など主人公の戦争と平和が描かれた本を何度も読み返した。セミの鳴き声が響く中、文章を書き続けた夏の日々が、今も鮮明に思い出される。
 父の転勤によって、さまざまなことを学ぶ機会も得たが、なかなかなじむことができず、よそ者としての孤独も深く刻まれ、その後、人間関係の構築が少し不得手になったように思える。なにしろ、私のツギハギだらけの子ども時代を注釈なしに語り合えるのは兄だけだ。
 いま企業は、社員が自ら希望して地方や新しい部署に挑戦できる制度を整え始めている。かつて日本の成長を支えた転勤制度そのものが、社会の変化に耐えきれない金属疲労を起こしているのかもしれない。働く人の背後には家族がいる。その気持ちも尊重しながら、誰もが納得して動ける新しい制度に生まれ変われるだろうか。(みれい)

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