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新ヨーロッパ通信

【新ヨーロッパ通信】テンプル騎士団の城

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 南スペインのバレンシアから、地中海に沿って北へ約2時間車を走らせる。海に突き出た小さな岬に、明るい黄褐色の城がそびえている。
 南欧の強い陽光を浴びながら、急な坂道を登っていくと、城門にたどりつく。礼拝堂、集会室、地下牢などが残っている。城には装飾がほとんどなく、ストイック(禁欲的)な印象を与える。唯一の装飾は、礼拝堂の入り口の上部に、五つの花の浮彫りだ。ストイックな雰囲気の理由は、この城を建てたのが、修道士と騎士の役割を兼ね備えた人々だったからだ。
 ペニスコラ城と呼ばれるこの要塞は、1294年から1307年にかけて建設された。アラブ人の砦の廃墟の上に、テンプル騎士団と呼ばれる修道騎士団が、居城を建設した。テンプル騎士団は、1118年にエルサレムで創設された、修道士から成るエリート騎士団で、ローマ教皇直轄の「戦闘団」だった。
 11世紀初め、エルサレムはイスラム教徒が支配していた。だが1096年にフランスやフランドルの貴族、修道士など約1万人が聖地エルサレム奪回のための十字軍遠征を開始。十字軍は1099年にエルサレムを征服した。その後欧州から船で中東に渡り、エルサレム巡礼を試みるキリスト教徒が増えたが、地中海沿岸の港からエルサレムに移動する間に、盗賊に襲われて命を落とす巡礼者が続出した。
 そこで1118年に、巡礼者を守る騎士団がエルサレムで創設された。彼らは、「神殿(テンプル)の丘」と呼ばれる場所に本拠地を置いたために、テンプル騎士団と呼ばれた。今日の神殿の丘には、イスラム教徒にとって最も重要な聖地の一つである、アルアクサ・モスク(礼拝施設)が置かれている。
 テンプル騎士団のメンバーたちは普段は修道士として生活しているが、教皇からの命令が下れば出撃し、イスラム教徒や盗賊と戦った。シンボルは、白地に赤の十字架だった。
 テンプル騎士団は、中東だけではなく欧州にも拡大し、コマンドリーと呼ばれる駐屯地が約9000カ所に設置された。この騎士団は、最盛期には約1万5000人の修道騎士を擁した。コマンドリーの建物は、今日のフランス、英国、イタリア、スペインなどに残っている。
 13世紀に建てられた居城がほぼ完全な形で保存されているのは、すごい。ベージュ色の堅固な城壁は、エルサレムの旧市街を取り囲む城壁を、私に思い起こさせた。約700年前に建設された城が残っており、中に入ることができるスペイン南部は、欧州の歴史に関心を持つ者にとっては、宝庫のような地域だ。
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

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