Advertisement Advertisement

コンテンツ

新ヨーロッパ通信

【新ヨーロッパ通信】アビニョン対立教皇と海

SHARE

 私は10月に、地中海に面した南スペインのペニスコラ城に足を踏み入れた。テンプル騎士団が1294年から1307年にかけて建設した要塞である。テンプル騎士団は、普段は修道士だが、教皇の命令が下ればイスラム教徒などと戦った戦闘団である。
 城の広いテラスの一角に、石造りの箱のような居室がある。中世の建物に多い、狭い戸口から身をよじるようにして室内に入る。内部は質素で暗い。縦に細長い窓から見えるトルコ石のように青い地中海だけが、この部屋に一抹の明るさを与えている。
 これは、カトリック教会の権力闘争に敗れた「対立教皇」ベネディクトゥス13世が12年間にわたり隠遁生活を送った建物である。
 西欧のカトリック教会は、1378年から1417年にかけて分裂した。ローマ教皇とアビニョン教皇が「自分こそが教会の最高権力者だ」と正当性を主張し、譲らなかったからである。「シスマ」(教会大分裂)と呼ばれるこの期間には、フランス、アラゴン(現在のバレンシアがある地域)、イタリア南部のシチリア王国などがアビニョン教皇を支持し、英国、イタリア北部、ポーランド、デンマーク、ハンガリーなどがローマ教皇を支持した。元々フランスとイタリア北部の対立だったが、ヨーロッパ全域に波及した。
 1328年に生まれたベネディクトゥス13世は、ローマに対抗する「対立教皇」だった。大分裂は、カトリック教会の影響力を劣化させた。そこで教会指導部はシスマを収拾するために、1409年にピサで開いた会議で、ベネディクトゥス13世の退位を決定した。教会指導部は、結束を回復するためにアビニョン教皇を切り捨てたのだ。
 ベネディクトゥス13世は退位を拒否し、身の危険を感じたために、1411年に南仏のアビニョンからバレンシア北部のペニスコラ城に避難した。彼は石造りの狭い部屋に蟄居(ちっきょ)し、隣に作られた仕事部屋で、著作に明け暮れた。ベネディクトゥス13世の部屋の前のテラスには小さな庭園が造られ、泉もあったという。現在では対立教皇のための庭園はなくなっており、石の床があるだけだ。ベネディクトゥス13世は、失意の内に、1423年に生涯を閉じた。94歳だった。彼は死ぬまで、自分を裏切った聖職者たちを呪っていたという。
 ベネディクトゥス13世の居室から見える地中海は、見る者を吸い込むような青さを湛えている。権力を失い、配流(はいる)の身となったベネディクトゥス13世にとっては、この海の色だけが、心の慰めだったのではないだろうか。
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

SHARE