パリ・哀愁の地下鉄
パリの地下鉄は、あまり好きではない。スリが多く、汚い。時々、地下通路に異様な悪臭が立ちこめていることがある。だから、急ぎの用事がある時などやむを得ない時以外には、なるべく乗らないようにしている。だが、時には楽しいこともある。
先日、パリでメトロ(地下鉄)に乗ったら、ギターを持った男性が乗り込んで来て演奏を始めた。彼はスペイン語で、「ベサメムーチョ」を歌った。ミュージシャンは演奏後、帽子を持って車内を歩き、寄付を募る。お金を渡す人はあまりいない。パリではよく見られる風景だ。
地下鉄駅を結ぶ通路を歩くと、時々音楽の生演奏が聞こえる。この音楽を聴くと、「パリに来たなぁ」と感じる。しかし、誰でもどこでも演奏してよいというわけではない。こうした通路には、ミュージシャンが音楽の演奏を許されている場所が表示してある。ここで演奏を許されるミュージシャンは、パリ交通公団が主催するオーディションに合格しなくてはならない。しかも、競争率はかなり高いという。つまり、パリ交通公団は、水準が高いミュージシャンにしか演奏を許さないのだ。ここで30分くらい演奏すると、寄付が40ユーロ(5600円、1ユーロ=140円換算)くらい集まるという。
駅名の表示もユニークで楽しい。例えば、8番線のボン・ヌベル(良い報せ)という駅では、駅名の字が踊るように書かれていて楽しそうだ。フランス人のセンスが浮き彫りになっている。こういう点にフランス人のユーモア、エスプリを感じる。デザインや芸術に関心のある人にとって、パリは素晴らしい町だ。
またある時、地下鉄の車内に詩が掲げられているのに気づいた。パリ交通公団が行っている詩のコンテストで賞を与えられた優秀作だ。日本の芭蕉の俳句のフランス語訳が掲げられていることもある。文化を重んじるフランスらしい。乗客たちも詩を読んで、日々のストレスを一瞬忘れるのかもしれない。
しかし、私は地下鉄に乗ると悲しくなることもある。冬の寒さが厳しくなると、地下鉄の駅で眠っているホームレスの市民の数が増えるからだ。彼らは寝袋にくるまったり毛布を頭から被ったりして眠っている。通勤客や観光客たちは彼らには目もとめず、速足で目的地へ向かう。彼らはどこで生まれ、どのようにしてパリに来て、地下鉄の駅で眠るようになったのだろうか。パリはルーブル美術館だけではない。華麗と困窮が同居する町だ。
(文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
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