ラーメン桃源郷・札幌
4月17日・月曜日。この日の札幌は、雪交じりの嵐に見舞われた。山から吹き下ろす強い風のために傘をさせない。市民たちはコートの襟を立てて足早に歩いていた。濡れた靴から寒さがしんしんと身体に伝わってくる。やはり東京とは気候が違う。こういう寒い日には、ラーメンに限る。
目当ての店は、中央バス札幌ターミナルの地下という一風変わった場所にある。札幌のシンボルとして有名な時計台から歩いて15分ほどの場所だが、観光客が殺到する場所ではない。さすがに地元紙の記者は、良い店を知悉している。「らーめん紫雲亭」は、激戦区・札幌でラーメン党に愛されている穴場だ。5~6人が店の前に並んで順番を待っている。この店では醤油ラーメンがお勧めだ。豚骨と魚介類で作った濃厚なスープに、こしのある縮れた麺。身体がほかほかと温まる。ドイツから、はるばる札幌まで来たかいがあった。
札幌ラーメンの起源は、1921年(大正10年)に王文彩という人が始めた「竹家食堂」の肉絲麺だったと伝えられる。昭和初期には、中華料理店だけではなく喫茶店も、1杯15銭で食べられるラーメンを出して市民の間で好評だった。屋台が中心だったが、太平洋戦争による物資の不足で、一部のラーメン屋は消えていった。
第二次世界大戦が終わって平和が札幌に戻ると、ラーメンも復活する。1946年には市内にラーメンの屋台が現われ始める。中でも西山仙治という麺職人が出した「だるま軒」という屋台は、人気を博した。
西山氏の従兄弟の西山孝之氏は後に「西山製麺」を興し、独特のこしを持つ麺で全国的に有名になる。冒頭でご紹介した「らーめん紫雲亭」でも、西山製麺の麺が使われている。同社の麺は、日本から1万キロ離れたデュッセルドルフのラーメン屋でも使われている。
札幌ラーメンと言うとみそラーメンを思い出す人が多いかもしれないが、初期の札幌ラーメンの中心は醤油ラーメンだった。大宮守人という人がみそラーメンを出し始めたのは、1961年ごろだという。
札幌一の繁華街・薄野(すすきの)を歩いていたら、「元祖ラーメン横丁」があった。幅の狭いアーケード街の両側に、ラーメン屋がずらりと並んでいる。大金を払わずに満腹感と温かさを得られるラーメンは、いつの時代にも庶民の味方だ。私のようなラーメン党は、札幌に1カ月くらい滞在して、さまざまな店で比較研究をしなくては、満足できないかもしれない。
(文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
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