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【保険毎日新聞社 創刊80周年記念特集】迫りくる巨大地震に向けて 石川県代協 田端悟会長インタビュー まずは家族を守った上でお客さま対応を

今後30年以内に高確率で発生するといわれる南海トラフ巨大地震や首都直下地震といった巨大地震に備え、令和6年能登半島地震で被災を経験した石川県代協の田端悟会長に話を聞いた。同地震で大きな被害を受けた輪島市・珠洲市・穴水町の加盟代理店の状況や、石川県代協としての義援金・物資支援、ボランティア活動の実情、同業者に向けて「まずは家族を守り、その上でお客さまを守る」こと、そして地域をまたぐ支援ネットワーク体制構築の重要性など多くのことが語られた。

田端会長
地域をまたぐ支援ネットワーク体制が必要
――令和6年能登半島地震で、現地の保険代理店にはどのような被害が発生したか。また、現在の復興状況は。
田端 当代協の能登支部には約20の代理店が所属するが、特に被害が大きかったのは輪島市、珠洲市、穴水町のエリアだ。複数の代理店で事務所や自宅が倒壊し、通信も途絶した。現在も仮設店舗で営業を続けている代理店は2店舗あり、自宅を修復してそこを事務所代わりにしている店舗もある。大きな代理店では被災を機に金沢の既存拠点へ機能を集約したケースもある。幸い今回の震災で廃業に至った代理店は一つもない。ただ従業員が減少したところは多く、土地勘のある人材が減るのは痛手だ。また、お客さまを守りたい一心で地元に踏みとどまる代理店がある一方で、お客さまが能登を離れ、契約自体が消滅してしまうケースも少なくない。
――地震直後はどのような対応を。
田端 やはり家族あってこその仕事なので、まずは家族の安否確認を行った。家族の無事が確認できてからは、自社の社員の安否を確認した。私どもの代理店㈱ライフテラスがある小松市は震度5強の揺れだったが、幸い被害はひび割れ程度で社員の無事も早期に確認することができた。その後、被災が深刻だった能登の仲間の支援に動いた。当代協としてすぐに金沢市内のホームセンターなどで食料や生活用品といった支援物資を調達し、被災地に届けた。ただ、甚大な被害を受けた能登半島の先端部への主要道路は2本しかなく、その道も所々崩れて片側通行になったり渋滞したりしていて、現地まで入るのは容易ではなかった。加えて復旧工事の車両やボランティア、さらには動画撮影目的のYouTuberまで押し掛けていたため通行規制もあり、「届けたいのに届けられない」もどかしさがあった。結局、一部の被災代理店には中間地点の七尾市まで出てきてもらい、そこで物資を手渡す形となった。また、全国の代協仲間からは義援金も寄せていただいた。最終的に1000万円ほどの義援金が集まり、被害の大きかった代理店1店舗あたりに平均して50万円近くを届けることができた。また、石川県へも災害義援金としてその一部を寄付させていただいた。

被災直後の輪島本町通りの様子
――平時に策定していた事業継続計画(BCP)は機能したか。
田端 地震前から業界内でBCP策定の機運が高まっていたおかげで、発災直後に各社一斉に連絡を取り合い、社員の人命優先の対応ができた。次の段階としてお客さま対応があるが、ここで課題になったのが顧客情報へのアクセスだった。今回、震源に近い能登では地震発生直後こそ電話も通じたが、1~2時間後には通信不能となった。停電も発生し、インターネットを含めデジタル通信機能がまひした。そうなると、クラウド上に保管している契約者データにアクセスできない。やむを得ず被害のなかった金沢の保険会社支社に出向き、そこで自社顧客の契約情報を入手するなどの対応をとった。代理店同士で助け合いたくても、顧客情報は個人情報のため安易に共有できない。結局、非常時には自社の顧客データをいかに取り出せるかが生命線になることが分かった。つまり今回の経験で痛感したのは、通信網や電力が断たれた状況でも使える紙の台帳や顧客リストのバックアップが必要ということだ。時代錯誤に聞こえるかもしれないが、そう強く感じた。
――あらためて震災を振り返ってみて。
田端 被災直後は私自身、一刻も早く現地に駆け付けて力になりたいという思いでいた。しかし実際には誰がどこに避難しているか把握できず、また行ったところで当時の能登は宿泊どころか食事を取る場所すらない状態だった。インフラが壊滅し、水道が止まってトイレも使えないとなると、外部の人間が安易に乗り込んでもかえって足手まといになりかねない。もどかしく悔しい思いはあったが、すぐ現地に入れなかったのは仕方ないとも思っている。強いて言えば、少し時間が経ってからでも直接現地に足を運び、被災した会員と対面する機会をつくりたかったが、それも当時は道路事情によりかなわなかった。一方で、義援金といった全国の仲間からの金銭面等の支援には、非常に救われたという心持ちだ。例えば、岡山県代協のご厚意で車椅子5台を寄贈いただき、それを輪島市と珠洲市、穴水町の社会福祉協議会経由で病院などに届けた。保険代理店向けの支援ではないが、地域の高齢者やけが人に大変喜ばれた。こうしたつながりによる支援は本当に心強かった。

能登半島への主要道路も甚大な被害を受けた
――今回の経験を通じて、保険代理店の存在意義や役割をどのように感じたか。
田端 あらためて「地域とお客さまを守る最後の砦(とりで)が地元の保険代理店だ」という使命感を強くした。地震直後、被災地の代理店仲間は自らも被災者でありながら、必死にお客さま対応を続けていた。事務所が壊れても車中やテントで保険金請求の相談に乗ったり、地域の避難所を回って声掛けをしたりしていた。その一方で、彼らも家族を抱え生活がある。避難のため一時的に能登を離れた人、事業再開か廃業かで悩んだ人もいる。そうした板挟みの中で地元に踏みとどまる選択をした会員に向け、私は常々「家族の安全なくして事業の継続なし」と伝えるようにしている。まず自分たちの足場を固め、その上で代理店として地域貢献していく。この順序を意識しておくことが、いざというときに慌てず動けるポイントではないだろうか。
――現在、石川県代協として進めている取り組みや今後の展望について。
田端 当代協では今も能登の被災地支援を続けており、今年に入ってからは毎月1回、定期的に能登へボランティアに行く活動を始めた。震災直後から昨年夏ごろまでは全国各地から大学生などのボランティアが大勢来てくれていたが、時間の経過とともに徐々に人手が減り、一時募集が打ち切られた。しかし現地にはまだ手伝ってほしいというニーズが残っている。そこで、被災した代理店有志が窓口となり、われわれ地元の代協メンバーも月例で現地に赴いてがれきの撤去や片付けを手伝っている。風化と戦う意味でも、細くても長く支援を続けていきたい。また私自身、今後もこの経験を各地に伝える活動をしていくつもりだ。発災後、全国の同業者から「ぜひ話を聞かせてほしい」というオファーを多数いただいた。今後起こり得る巨大地震に備える上で、少しでもお役に立てるならと全国各地のセミナー講演を引き受けている。ただ、こうした活動は自社業務に支障をきたす面もあるため、日本代協アカデミーで動画を配信するなど、工夫して経験を発信する取り組みも始めた。今後もできる範囲で現地支援と情報発信の両立に努めていきたい。
――最後に同業者に向けてメッセージを。
田端 平時の備えと横の連携、この二つをぜひ心掛けていただきたい。まず備えの面では、家族や社員を含めた安否確認の手順、非常時の連絡網、予備電源や紙資料の確保など、自社でできるBCPをいま一度見直し、最悪の事態を想定して「これだけは守る」「これがダメなら次はこれ」といった代替策をいくつか用意しておくべきだろう。また、横の連携についてだが、私たち保険代理店は、お客さまを通じて多様な業種・地域とネットワークで連携できる立場だ。例えば建設業のお客さまがいれば、そのつながりで被災後に復旧工事をお願いできるかもしれない。実際、今回の能登地震でも県内外から多くの業者の方が応援に来てくれたが、正直それでも人手が足りない状況だった。こうした経験から、地域の枠を超えた助け合いができるネットワークの必要性を強く感じている。日本代協のつながりを活用し、地域ブロックごとに支援し合えるような仕組みが生まれれば心強い。
