優しさと厳しさ
小学校の先生に憧れた記憶を、読者の皆さんもお持ちではないか。筆者は小学校2年の担任の女性教諭が大好きだった。抜群の人気で、クラス替えでこの先生が担任と発表されたときには、「ばんざい」とたくさんの児童が叫んだくらいの名物先生だ。日本人形のようなしとやかな面立ちで優しく暖かく接するけれど、指導はきびきびとスピーディ。体育授業も得意な文武両道の才女だった。そして優しさに加えて、わんぱくたちをきっぱりと叱ることができる先生でもあった。この優しさと厳しさのすぐれたバランスは幼かった心にも刻まれ、この先生は初等教育指導のお手本だった。
この教諭の指導力を思い出す出来事があった。筆者が現在従事している小学校高学年の土曜教室でのことだ。指導員は男性の教室長1人と5人の民間から集まった女性指導員の計6人。毎週の指導日は自習主体で授業と指導を行う。
さて、教室長が都合により欠席だったある指導日である。教室は優しい女性指導員と土曜日のリラックス気分の子どもたちでざわざわと騒がしい。集中力を維持できない子どもたちは注意しても聞かず、個別指導のように子どもの脇に座り、根気強く子どもたちの学習を見守る必要があった。
教室長が一喝すると瞬時に反応する子どもたちだが、当日はゆるやかな女性指導員の優しさを楽しんでいた。どうやら子どもたちにとって女性指導員は邪気の通じる暖かく許容する存在のようでもある。少しきつめの注意をしても受け流されながら、教育現場の先生たちの毎日のご苦労にも思いをはせた。
自分自身の指導力の無さは別としても、日本の小学校は女性教諭が7割以上である。かの筆者憧れの先生のような優しさと厳しさを併せ持つ指導力を育成するにはどうしたらよいのか、女性活躍の観点からも考えた日だった。(こゆ美)