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エルマウ城の秘密(上)

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 ミュンヘンから南へ100キロ。アルプス山脈に連なるヴェッターシュタイン山系の荒々しい岩壁が目の前に立ちはだかる。このバイエルン州の田園地帯の丘の上に、緑色の尖塔を持つ古風な建物がある。1916年に建設されたホテル、エルマウ城だ。
 このホテルは、主要7カ国(G7)首脳会議が2015年と22年に開かれたことでも知られる。日本からは安倍首相(当時)と岸田首相がこの首脳会議に出席している。特に、15年のサミットは、ドイツのメルケル首相(当時)の提言に基づき、初めてG7首脳が世界経済の非炭素化を目指すという方向性を打ち出し、同年12月のパリ合意へのレールを敷くという重要な役割を果たした。首脳たちはホテルの窓から美しいアルプス山脈と田園地帯を眺めながら、世界の政治と経済について討議した。
 ホテルを建てたのは、ヨハネス・ミュラー(1864年~1949年)というワイマール時代のベストセラー作家だった。プロテスタントの神学者でもあったミュラーは、人間の苦悩の根源は自己中心主義にあると考えた。彼は「神に至る道は、美しい自然の中で自我を忘れることだ」と主張した。そして彼は、ホテルでコンサートと舞踏会を催すことで、読者たちが自己中心的な個人主義を克服するための場を提供しようとした。キリスト教に関するミュラーの評論集はワイマール時代に広く読まれ、彼はドイツ各地で講演を行った。
 だが、ミュラーは1933年にナチスが政権を獲得すると、ヒトラーを「神の代弁者」として賛美するようになった。ミュラーはナチス党員にはならなかったが、彼の当時の発言は明らかにヒトラーをドイツ民族の救済者として敬うものだった。このため、彼は第二次世界大戦後の1946年にバイエルン州政府の司法当局から「戦争犯罪人」として、第一審で有罪判決を受けた。ホテルは米軍とバイエルン州政府に接収され、1951年まで、戦争のために故郷に住めなくなった難民や強制収容所で生き残ったユダヤ人たちの避難所として使われた。
 ちなみに、ホテル側は「ミュラーはヒトラーを賛美する一方で、ユダヤ人が自分のホテルに泊まることを禁止しなかったため、ナチスからも追及された」と主張している。彼の死後、裁判は終結し、政府はホテルを1961年に息子のべアンハルト・ミュラー・エルマウらに返還した。それ以来、このホテルはエルマウ城と呼ばれるようになった。
(つづく)
(文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
筆者ホームページ http://www.tkumagai.de

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