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新ヨーロッパ通信

ペルージャの石畳

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 フィレンツェとローマの間にあるウンブリア地方。なだらかな山が多く、「イタリアの緑の心臓」とも呼ばれる。
 ウンブリア最大の町がペルージャだ。中世からルネサンス期に栄えた町は、丘の上にある。町の中心に出ると、鐘楼を持つ白亜の建物が目に飛び込んでくる。ペルージャは文化遺産の宝庫だ。ベニス風の窓を持つこの白い建物は、パラッツォ・デル・プリオーリと呼ばれ、市庁舎として使われてきた。現在は宗教画の博物館が置かれている。この建物は中世に年々拡張されたが、最初の建物は1298年に建てられた。13世紀の建物が、今も使われている。日本で言えば鎌倉時代である。建物の北側の壁に取り付けられたライオンと怪鳥の像は、14世紀のシエナとの戦いの戦利品だ(壁に取り付けられているのは複製で、実物は博物館に保存されている)。
 建物の一角には、金融業者や両替商たちが働いていた部屋が残っている。今風に言えば、「銀行家クラブ」だ。壁は宗教的なテーマなどを扱った壮麗なフレスコ画で飾られている。壁画は、ルネサンス期にペルージャで活躍したピエトロ・ヴァヌッチ・通称ペルジーノが描いたもの。彼の自画像もこの部屋に残されている。この市庁舎には、「商人たちのクラブ」や「公証人の間」も残されている。
 市庁舎とサン・ロレンツォ聖堂に挟まれた広場に、大理石の彫像とレリーフで飾られた泉があり、今も水が噴き出している。1278年に作られたフォンターナ・マジョーレと呼ばれる泉は、新しい水路の完成を記念して建造された。
 ローマ帝国が支配する前のイタリアには、エトルリア人という民族が住んでいた。ペルージャには、紀元前3世紀にエトルリア人が作った深さ約40メートルの貯水槽が残っている。石段を下りていくと、石で固めた薄暗い貯水槽に今も地下水が流れ込んでいるのが見えた。貯水槽から水をくみ上げるための井戸の跡も、近くの路上に残っている。エトルリア人が作った門が町を囲む城壁の6カ所にあり、使われている。
 見逃せないのが、中世のペルージャ人たちがローマ教皇の軍隊の攻撃に備えて1543年に建設した要塞、ロッカ・パオリーナだ。建物は19世紀に取り壊されたが、地下の通路や居住区がほぼ完全な形で残っている。ペルージャ人たちは戦乱の際に籠城するために、地下に町を作ったのだ。まるで地下迷宮のようである。ペルージャは、われわれを現代から古代・中世に運ぶタイムマシーンだ。
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

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