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新ヨーロッパ通信

神戸新開地・タイムスリップ

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 1983年・神戸市。私はNHK神戸放送局で働く駆け出し記者だった。「所轄担当記者」は、市内の警察署を回って、事件・事故について記事を書く。当時、神戸市の東半分では中央区の生田警察署に記者クラブがあり、西半分は兵庫警察署にクラブがあった。警察署の広報担当者(副署長)は、事件に関する発表の連絡をクラブの幹事社を通じて行う。クラブの部屋は雑然としていて汚いが、夜討ち朝駆けで疲れた記者が昼寝をしたり、出前を取って食べたりする生活空間でもあった。
 当時、兵庫警察署の記者クラブに属していたのは、地元紙の神戸新聞、朝日、読売、毎日、産経、共同通信、NHKだけだった。今考えると排他的な組織だった。ある夏の夕方、クラブの加盟社が飲み会を催した。記者たちは抜いた抜かれたでしのぎを削っているが、皆同じ苦労を味わっているので、仕事以外では仲が良い。
 兵庫区には新開地と呼ばれる繁華街がある。第一次世界大戦前の1910年代には、神戸随一の盛り場だった。1913年には1200人を収容できる大劇場・映画館「聚楽館」(しゅうらくかん)が建造された。映画評論家として有名だった故淀川長治氏は兵庫区生まれで、新開地で映画館に通いつめて、欧米の映画の虜になった。ただし、1980年代には神戸の中心地は東部の三宮や元町に移っており、新開地はさびれていた。
 神戸新聞の記者が、「今日は変わった所へ連れて行ってやる」と言った。彼の後について酒場や食堂が密集した狭い路地を入っていく。店の名前は「桃原」。中に入ると、大正時代のカフェのようだ。従業員は全員和服を着た中年女性である。日本髪を結った人もいる。店の中には大きな舞台がある。客は舞台に接したテーブルでビールやウイスキーの水割りを飲む。さらに、クリスマスなどに使うクラッカー(爆竹)を渡される。
 やがて、三味線の演奏が始まり、舞台の上で和服の女性が舞踊を披露し始めた。踊りが終わると観客は、拍手の代わりにクラッカーの糸を引っ張って爆竹を鳴らす。「パン、パパン!」火薬の匂いが漂う。「桃原」は、大正~昭和初期の新開地にたくさんあった「舞踊喫茶」の一つである。神戸新聞の記者は「ここが最後の舞踊喫茶だ」と言った。
 1995年の阪神淡路大震災で、兵庫区は深刻な打撃を受けた。新開地の建物の約70%が全半壊した。舞踊喫茶も今はない。私がタイムスリップした「桃原」は、大正時代の神戸の最後の残影だったのかもしれない。
 (文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)
 筆者Facebookアカウントhttps://www.facebook.com/toru.kumagai.92

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